著者/訳者:スーザン フォワード
出版社:講談社( 2001-10 )
定価:¥ 819
文庫 ( 319 ページ )
ISBN-10 : 4062565587
ISBN-13 : 9784062565585
先日購入した『毒になる親―一生苦しむ子供 (講談社プラスアルファ文庫)』という文庫本ですが、一昨日一通り読み終えました。
一言で言うなら、これはまさに
ですね。
特に、すでにお子様がいらっしゃったり、あるいはこれから確実にお子様が出来るような人は絶対に読むべき。親が親として自分を律するための規範になります。
Amazonのカスタマレビューの中には、これをメリケン国の特殊事例で日本にはそのまま当てはまらないと一蹴している人もいるようですが、私が読んだ感じですと、確かに100%は当てはまりませんが、それでも大半は当てはまると言ってよいでしょう。
第一章「『神様』のような親」。これはこれまでの日本社会の根底にあったものと変わらないですね。「親は絶対だ」。最近はそうでもないという人もいるかもしれませんが、それは第二章のようなケースの裏返しだと言ってしまっても過言ではないでしょう。
第二章「義務を果たさない親」。最近の日本で急速に増えているのがこれ。何もこれはパチンコをするために駐車場の中に自分の子供も置き去りにして熱射病で死なせるような利己的な「親」に限ったことではない。自分の無能ぶりを子供に責任転嫁する愚者、子供を適切にしつけない親などは、まさに現代日本をむしばんでいる病理です。
現代日本では、どう考えても一昔前に比べて明らかに基本的な善悪の区別のつかない愚者が増えてきているように思えます。自分の快楽だけのために人(赤の他人であったり肉親であったり)を平気で殺傷したり、公共の場で自分の子供が他人に迷惑かけているのを見て見ぬふりするばかりかそれを助長さえしたりとか。ひどいのになると迷惑をかけられている側(当然無実)に責任転換する救いようのないモノまでいる始末。
日本の治安回復のためには、厳罰を持って臨むことと、精神面での回復の二本柱が必要なのではと言うことを痛感させられました。
第三章「コントロールばかりする親」。これなどは特に「親」に限らず、社会的な地位の悪用という意味でも要注目ですね。いわゆる「パワー・ハラスメント」。
何故そんなことが言えるのか。私の前職時代の上司がまさにこんなタイプの奴でしたから。暴力こそふるわなかったモノの、常に威圧的な態度で接してきて、人の神経を逆なですることばかり口にし、こちらが何か意見しようとすると大声をだして一蹴し、自分がマネジメント能力ゼロという点については絶対に認めようとしなかった(私でさえそう感じるのだから本当に上司失格でした。事実、彼が指揮を執ったプロジェクトは、私が知る限りすべて失敗していました。後に彼は部下を剥奪されることとなったわけだし)。当然こんな環境でしたので多くの人間(社外含む)から恨みを買い、離職率も高かった。自分でもよく職場がなくなるまで居続けたモンだと思います。
パワー・ハラスメントやセクシャル・ハラスメントについては、適切な方法で告発することも可能であるようです。このあたりについて不勉強だったことが今更ながら悔やまれます。
閑話休題。私のこの例の場合は一応血のつながりのない他人の話ですが、親がこんな態度を取ったら子供がどう育つのかについては想像に難くないです。
第四章「アルコール中毒の親」。この章で不思議なのは、親がアル中なら子供はアルコールを嫌忌しないのかと感じたことですね。
何度か申し上げているように私はアルコールが大嫌いなのですが、体質的に受け入れられない(特に日本酒は絶対にダメ)であることのほかに、アル中の人間を見て「こんな風にはなりたくない」と感じていたというのも事実です。
私の場合は大学にはいるまで酒の味を知りませんでしたが、幼少時代から酒の味を覚えていたらどうなっていたのかと考えるとぞっとします・・・。
第五章「残酷な言葉で傷つける親」。むしろ最近の日本では「悪い意味で」この手の連中は少ないのかもしれません。同じ傷つけるにしても、他人に迷惑をかけた子供ではなくて、被害者のはずの子供に迷惑をかけられた相手が対象となる親ならいますが。
先ほど申し上げた「前職時代の上司」はまさにこの章の主題の典型でした。
「お前のために言っているんだ」とは、親が子に対してよく言う言葉です。以前から、この言葉が大間違いであることはうすうす感じ取っていましたが、私の考えに誤りがなかったことを本書は論理的に言い当てています。そう言えば例の「上司」もことあるごとにこんな言葉使っていたな。もちろんそれがウソであることは百も承知でしたが。
第六章「暴力をふるう親」。自分自身は幸い、その手の虐待を受けた覚えはほとんどありませんが、近頃は日本でも「虐待死」が報じられることが多くなっております。「泣きやまずカッとなって殺した」とは犯人たる親がよく口にすることですが、赤ちゃんが泣くことはむしろ当たり前なのだから、その程度のことで我慢できないなら子供を作るなと言いたいですね。こっちなんて子供を作ることすら許されていないんだ、バーロー!
・・・閑話休題。公共の場で他人に迷惑をかけるバカップルが自分たちの快楽の結果「たまたま」子供を授かったとする。不幸にしてそんな親の元に生まれてしまった子供が無知な親によって殺されるとすれば、まさに不条理ですね。
徳育もそうですし、あとは性教育についても、これまで以上にじっくりと青少年に教え込まなければならないかもしれませんね。
・・・さらに閑話休題。殺されなかったとしても、親として不適格な者の子供として生まれてしまった人の場合、親からの愛情なんてものは得られないわけです。となると、本当の親よりもさらに親として的確な者が親の代わりとならざるを得ない。
親戚が預かることが可能であればそれがよいのですが、それも無理な場合のことも考え、養護施設の発展が望まれるところではあります。とはいえ、「本当の親」に育てられなかったと言うことが子供に暗い影を落とすようではいけませんので、これらの現象を社会的に認知させることが不可欠です。あとは、親として不適格と認定されてしまった者については一定期間婚姻を禁じるぐらいのことはしなければならないかも。
第七章「性的な行為をする親」。さすがにこれだけは非現実的と思えますが、日本にもこんな手合いっているのでしょうかねぇ。
対策としては、やはり他の者(親戚が理想)に親代わりしてもらうなり、この手の親から親権を剥奪するなり婚姻を認めなくするなりといったことが必要でしょうね。
・・・こんな感じで、まだ人の親になっていない自分ですら、第七章以外のケースについては何らかの思い当たる節があるわけです。ましてや実際に人の親となっている人の場合は、いくつかの事例については現実的なモノとして受け止めることが出来るでしょう。そうでない事例についても、「自分はこのようにはならない」と、自らを律するための材料にすることは可能でしょう。
幸い自分の場合は、その後の章で述べられているような「親との対決」の必要性には迫られておりません。ただし、第七章以前に思い当たる節が全くなかったかというと、むしろ逆と言っていい状況ではあります。
ただ、実際に「親との対決」が必要な人は少なからずいるように思えますし(でなければ今の日本の風紀の乱れを説明できない)、そうでないにしても、自分のように「毒」を持っているのではと感じる人間だって多いわけです。
「そんなの関係ねぇ!」と感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、それでも自らの状況を自覚し、治す必要のある点は治し、自らを律する必要はあります。
というわけで、やはり本書につきましては、現代日本人必読といってよい書物だと思います。特に人の親となっている方は是非!












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