昨日、「【書籍】『毒になる親』を読んで」という記事を書きましたが、そこで書き忘れており、どうしてもこれだけは申し上げておかなければならないことを。
「訳者あとがき」の冒頭文の中で、
(前略)だが子供は生まれてくるときには無垢のまま生まれてくるのであり、それが育っていく過程でおかしくなるというのは、原因が大人にあるのは明らかであり、それを“社会”のせいにするのはごまかしである。
と述べられていますが、この意見にはどうも賛成できない。訳者はちゃんと日本社会の現状を把握されているのかという感想を抱きました。
本書の第1冊が発行されたのが2001年。すでにその当時から、日本社会は親子問題に限らず昨今問題になっているようなことの多くが噴出してきていたのです。
子供がおかしくなる「原因」が「社会」ではなく「親」であるという意味であれば、訳者の主張は本書の趣旨とも合致するし何らおかしい点はないのですが、子供に植え付けられた「毒」の触媒として「社会」が働いているのはもはや疑いようのない事実です。
でなければ、マスメディアやネットやいわゆる大衆文化に感化された人間が犯罪を犯すなどということは起こりようがないですね。
今私は「触媒」という言葉を使いましたが、親に正しくしつけられ、道徳観や規範意識が育つための土壌の出来た子供であれば、社会により植え付けられる「毒」にもたやすくは影響されませんが、そうでない子供の場合はたやすく影響されてしまう。いじめなんてその典型ですし、振り込め詐欺のように一つ犯罪が報道されると模倣犯が跡を絶たなくなるのも、社会による毒性の強化の影響でしょう。
子供がおかしくなるのは社会のせいであるという点について合点がいかないのは、その下りの直後で
経済成長(といえば聞こえはいいが、ひらたくいえば金儲け)に国をあげて狂奔してきた結果が、あたたかい愛情を与えられずに育てられた子供にあらわれているのだ。
と訳者自身が述べられていることと矛盾することからも言えます。
全責任が親にあるのであれば、経済成長という「社会現象」はそもそも無実のはず。しかしこのあとがきでは子供への影響を認めてしまっています。
それ以降で「親」の問題について訳者なりの考えがしっかりと述べられているだけに、この冒頭文があとがきのすべてを台無しにしていると言っても過言ではありません。
現代日本をむしばむ病理と決別するためには、親の側から改善してゆかねばならないことは明白です。本書のような書物を規範とするなり、カウンセリングを受けるなり、いろいろ出来そうです。
しかし一個人の努力には限界がありますし、外部による毒の影響を払拭するのは並大抵のことではない。だからこそ社会全体の洗浄が必要なのです。
だからこそ、選挙の時にはきちんと国民・市民に目を向けている候補者に投票しましょう。意味不明のパフォーマンスに狂奔した人間に票が集まった結果その後の日本社会がどうなったのかについては、ここ10年ほどの日本社会の状況を振り返れば一目瞭然なのです。
子供が健全に育つためには、親が健全にならなければならないことは言うまでもありませんが、子供に毒を与えない社会の構築も同時におこなわなければならないのです。











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